■イエスの話した言語
ナザレのイエスが話した言語は何であったか?これはあまりにも多くのインクが費やされた問いであり、3つの異なる可能性、すなわち、アラム語、ヘブライ語、ギリシャ語が提示されています。。その答えの拠り所となる証拠は、福音書に与えられる手がかりと、1世紀初期のパレスチナにおける一般的な言語状況について知られるところとの二要素があります。これから見てゆくように、どちらの証拠もアラム語が彼の通常の言語であったことを強く示唆しますが、これは彼がまた時にはヘブライ語やギリシャ語を使用した可能性を排除しません。福音書はもちろんギリシャ語で書かれましたが、特にマルコによる福音書は数多くのイエスの言葉を、その都度ギリシャ語に翻訳しながら、セム系の言語で引用しています。
タリタ、クム、ギリシャ語に訳して「少女と、起きよ」(マルコ 5:41);
エフファタ、訳して「開かれよ」(マルコ 7:34);
エリ、エリ、ラマ サバクタニ、訳して「私の神、私の神、なぜ私をお見捨てになったのか?」(マルコ 15:34=マタイ 24:46、詩篇22:2を引用)
これらはアラム語でしょうか?それともヘブライ語でしょうか?2つ目はどちらとも受け取れますが、他の2つは紛れもなくアラム語です。(ヘブライ語テキストの詩篇22はまったく異なる動詞を使用しています。)
アラム語を指示するより重要な指摘は、 マタイ6:9−15およびルカ11:2-4に記された主の祈りの二つの異なる翻訳から与えられます。マタイは「私たちの負債をお赦しください、私たちも私たちの負債者を赦しましたので」(12節)となっていますが、ルカは「私たちの罪をお赦しください、私たちも私たちに借りを負う何人も赦しますので」(4節)となっています。アラム語では、―この時期のヘブライ語ではなく―、負債、負債者という語はしばしば罪、罪人という意味合いで用いられ、マタイは基礎となるアラム語の逐語訳である一方、ルカは節の前半部分が比較的慣用的な訳文なのです。
したがって主の祈りの元の言語はアラム語であったとされ、学者たちはそのアラム語の語句を再構築しようと試みてきました。表に見られるように、それらの再構築されたものは大部分において現在も日常礼拝に用いられている主の祈りのシリア語の型に大変よく似ています。現在のシリア語の型はギリシャ語からの翻訳であるにもかかわらず、1世紀のパレスチナとエデッサのアラム語(シリア語)は相互理解可能なアラム語の方言であったことが確認されるのです。
主の祈り 再構築アラム語原語と現代シリア語語句 |
但し書き:再構築されたアラム語語句は他にもいくつかあります。
シリア語は初期の発音を表現するため東シリアの発音です。 |
現代再構築版(マタイ6:9-13) |
シリア語(ペシッタ、マタイ) |
訳 |
アブナ/アブナン ド・ビ・シュマイヤ |
アブン ド・バ・シュマイヤ |
天にまします私達の父よ |
イツカドダシュ シュマッカ |
ネツカドダシュ シュマッカ |
御名が聖とされますように |
テセ マレクサカ |
テセ マレクサカ |
あなたの御国が来ますように |
イス‘ベド ル‘ウサカ/シブヨナカ |
ネハウェ セブヤナカ |
あなたの意思がなされますように |
ヘカマ/ヘカ ド・ビ・シュマイヤ |
アイカナ ド・バ・シュマイヤ |
天にあってのように |
ケン‘アル アラ‘ア |
アファ‘アル アラ‘ア |
地にあっても |
ラハマン ド・リ・ムハル/ド-ヨマ |
ハブ ラン ラハマ |
私達の明日/日々のパンを;
(シリア語)
私達にパンを与えてください |
ハブ ラン ヨマ デン |
ド・スンカナン ヤウマナ |
今日お与えください;
(シリア語)
私達が今日必要とする
[通常‘日々の’と訳されるギリシャ語は多義的な語です]
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ウ・シュボク ラン ホベナン/-ナ |
ワ・シュボク ラン ハウバイン |
そして私達を赦してください
私達の負債から
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ヘカ ディ アナハナ |
アイカナ ド・アファ ハナン |
同様に私達も |
シュバクナン
リ・ド・ハイヤビン ラン |
シュバクナン
ル・ハイヤバイン |
私達の負債者らを赦しました |
ワ・ラ タ‘エリンナン ル-ニスヨン |
ワ・ラ タ‘ラン ラ・ネスヨナ |
そして
私達を誘惑へやらないで下さい |
エラ シェゼバン/パシナン
ミン ビシャ |
エラ パサン メン ビシャ |
しかし悪からお救いください |
※セム語には、子音のみの音や日本語に無い音があることから、
カタカナ表記には若干無理がありますがご了承ください。(訳者)
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ヨハネによる福音書の中の地名の多くは、十字架の上に掛けられた札書きの言語のひとつと同様、ヘブライスチであったといわれており、通常「ヘブライ語」と訳されていますが、地名自体はヘブライ語というよりむしろアラム語の形で書かれている以上、当該語句はヘブライ語とアラム語の区別なしに、単に「ユダヤ人によって話される(セム系)言語」を意味しているようです。これは使徒伝のなかの3つの節、パウロの改心の際に聞いた言語(使徒伝21:14)、エルサレムの群集に向かってパウロが使用した言語(使徒伝21:40、22:2)にも同様に当てはまるでしょう。コリント人への手紙1の終わりにかけてパウロは「マラナタ(maranatha)」(1コリ16:22)というギリシャ語でない短い句を引用しています。
この言語は間違いなくアラム語で、2つの構成要素「私たちの主」と「来る」から成っています。ギリシャ語写本は単語を分離していないため、マラン・アタ「私たちの主は来た」という状態を示したものか、それともマラナ・タ「私たちの主よ、来て下さい」という嘆願を示したものか、正確な解釈は不明なままです。「私たちの」を意味する人称語尾はアラム語方言の違いによって-ナと-アンの間にまたがり一様でないため、どちらが1世紀のパレスチナで通常使われていたのかを知ることが重要です。そして同時代のアラム語写本と死海写本の中のアラム語テキストが証明するところによれば、相当である形として-ナのほうが指示されます。したがって、パウロの言葉は嘆願と捉えるのが最適で、これは後の、2世紀初頭ギリシャの作品、ディダケー(十二使徒の教訓)として知られる典礼文脈の中のこの句の使用法とも一致します。またこの嘆願は、数多くのシリア語語録や正餐式、また一つのギリシャ語正餐式「聖霊様、来て下さい(そして聖化して下さい・・・)」の中に見られるような、聖霊様への嘆願の文句の根源的な典拠であると考えて適当でしょう(その他の正餐式の嘆願すなわちエピクレシスは聖父に向かうまったく異なる文句「あなたの聖霊を送ってください・・・」になっています)。このように、聖アダイとマリの東シリア儀礼であれ聖バジルの西シリア(とギリシャ)儀礼であれ、今日執り行われ、霊を嘆願する厳粛な瞬間に使用されるその文句は、アラム語を話した最初期のクリスチャン・コミュニティで使用された嘆願へ直接遡るものなのです。
(英語原文はこちら:THE HIDDEN PEARL VolumeU,p11-13)
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