訳者注:以下は、エルサレムの旧市街にある聖マルコ教会(教会と修道院が併設されているので、修道院とも表記する)で販売されている公式パンフレット、「The
House of Mark: First Church in Christianity」の翻訳です。聖マルコ教会を訪れた人が手に取り、その場で読むことを前提とした記述内容になっています。
■聖マルコの家:キリスト教の初代教会
聖マルコ修道院の中庭にようこそ。あなたは今、マルコと呼ばれるヨハネの母、マリアの家にいます。聖マルコの家として知られているこの場所は、イエス・キリストが最後の晩餐の場所として選んだことで有名になりました。キリストは弟子たちへの目印として聖マルコに水がめを運ばせ、彼を通して最後の晩餐の時間を知らせたのです(マルコ14:12-16)。さらに、聖マルコは70人弟子の一人となり、イエス・キリストの生涯について書かれた新約聖書の2番目の福音の著者となったのです。
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聖マルコ
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この場所でイエス・キリストは彼の聖使徒たちと最後の晩餐を執り行い、ユダヤ教の過ぎ越し際を済まし、それから彼らの足を洗い、彼らに自分の聖体と聖血を与えることによってキリスト者の過ぎ越し際を確立したのです。そして50日後の五旬祭の日に、聖霊がイエス・キリストの使徒と男女を問わず全ての弟子たちに降ったのもこの場所でした。
あなたは今、イエス・キリストが昇天し、聖霊が弟子たちに降った後に、聖使徒たちによって選ばれた最初のキリスト教会に立っているのです。
教会が設立されてすぐに、彼らは次々に洗礼を受けました。シリア正教の記録によると、聖母マリアもまた、この時に洗礼を受けました。
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最後の晩餐
最後の晩餐が行われた部屋(Upper
Room)
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一時期、特に聖木曜日から天国への昇天日までの間、イエス・キリストが彼の母と聖使徒たちと共に住んでいたこの場所にいられるのは、とても素晴らしいことです。
使徒たちはその後も、さらに数年、ここに住んでいました。使徒たちは他の信者たちと共に教会に隣接した地下室に集まり、心を合わせて祈ったのでしょう。彼らは兄弟姉妹への愛と社会的・霊的啓発を与え合って共に過ごしたのでしょう。
想像して下さい。あなたがその手でそこらの石や壁を触る時、あなたは霊的に全能の神と共にあるのだと。あなたは神の祝福と天の栄光を受けることになるでしょう。私たちの主イエス・キリストが彼の聖なる手で同じこの壁に触れていたのですから。初期使徒時代に、使徒と教会の教父たちによってのみではなく、キリストその人自身の祈りを通じて、彼の聖なる霊はその壁に刻み込まれたのです。そうしてあなたは、2000年前から現在までに至る、アンティオキアのシリア正教会の(総主教たち、主教たち、そして教父たちの)生活、働き、経験と証言に、霊的な息吹を与えているのです。
この場所で、あらゆる誠実さをもって世代から世代へと受け継がれてきたシリア教会の栄光ある伝統と共に、あなたは生き生きとした真の信仰と純粋な教義の証人となるでしょう。
聖マルコ修道院の礼拝に参加するか、シリア式の典礼を見てその旋律を聞く時、あなたはシリアのアラム語を耳にすることになります。それはイエス・キリストと彼の使徒たちによって話されていた言葉なのです。
あなたはこの教会の先達たちが作曲した霊感に満ちた旋律を聴くことができます。その中でも最も有名なのは、シリアの聖エフライム(373死去)、スロウジの聖ヤコブ(521年死去)、バルシュの主教聖バレイ(432年死去)、シモン・アル・ファカーリー助祭(514年死去)と彼の友人たち、そしてエデッサの聖ヤコブ(708年死去)です。
聖マルコ教会の中、洗礼盤の上に、貴重で値のつけられない聖母マリアのイコンが飾られています。これはまだ彼女が生きている頃に、イエス・キリストの生涯と彼の行いと奇跡を第三福音書で記した聖ルカが描いたものです。この古いイコンは、西暦50年に描かれました。
聖マルコ修道院はイエス・キリストの兄弟であり、エルサレムの最初の主教で、その地位が現在までシリアの大主教に継承されている聖ジェイムズの住居でもありました。現在の大主教、セヴェリオス・マルキ・ムラードは、第126代目のエルサレム大主教です。
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聖母マリアのイコン
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■聖マルコ修道院が私たちの主イエス・キリストが最後の晩餐を執り行い、聖霊降臨が起きた場所であることについて
A. アンティオキアのシリア正教会の聖伝ではシリア正教会はキリスト教の母教会とされており、それはシリア正教のみではなく他の宗派の教会の歴史家や教父たちの多くの証言によっても証明されています。
聖ペテロは西暦37年頃に最初の使徒座をアンティオキアの教会に創設しました。キリスト教の歴史の父である歴史家のエウセビオスが保証しているように、それは昇天から4年後のことでした。そうです、当時大シリアの首都であった大アンティオキアに、最初のシリア総主教座が創設されたのです。パレスチナは20世紀初頭に至るまで、大シリアの一部でした。
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聖ジェイムズ
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シリア総主教座は、ニケア公会議で述べられた通り、アジア地域の全キリスト教徒に霊的・管理的な権威を持っていました。総主教座のこの権威は、シリア内のギリシア人のグループがシリア教会から離れ、彼ら自身のためにギリシア正教総主教座を設立した518年まで続きました。
B. 5世紀か6世紀のものとされるアラム語の碑文が、1940年に発見されました。アラム文字はキリスト教の初期にパレスチナ地域で用いられており、これはまたもう一つの証拠となっています。さらに、この碑文の「Alef」と「Ta」という文字はパレスチナのアラム語碑文で用いられているのと同じ書体です。エルサレムの古文書局がこの碑文を認めています。彼らはさらに、聖マルコ教会がエルサレムの聖墳墓教会とベツレヘムの生誕教会に匹敵する歴史的・宗教的価値を持っているというコメントを付け加えています。
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聖ジェイムズの椅子
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この碑文は、主の母である聖母マリアの名において、聖マルコの家がキリスト教の最初の教会であり、最後の晩餐が執り行われ、過ぎ越し祭に聖霊が使徒たちに降ってきた場所であると記しています。そして、この場所においてキリスト教の最初の教会が設立され、イエス・キリストの使徒たちに祝福されました。聖霊が使徒たちに降り注ぎ、キリスト教会に霊の誕生を与えたのは、まさにこの場所でした。そして疑いなく、この場所は、最初の教会の発足と霊的誕生という、キリスト教の歴史の二つの重要な出来事を証言する場所なのです。
(このページの最下部に写真があります。)
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聖壇
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C. キリスト教の発祥以来、シリア人の教父たちは、聖マルコの家はキリストその人自身から祝福されたのだと確信しています。特に373年に死去した聖エフライムは、彼の賛美歌の歌詞の中で、このように記しています。「マルコの家で、私たちの主は、動物の屠殺を禁止したその夜、捧げ物を断りました。そして彼は新しい誓いを書き、誤った伝統を非難しました。」
私たちは、この場所が宗教的に認知されていないとしても、最も高貴な宗教的働きは私たちの主、イエス・キリストによって達成されたのであり、ここに最初の教会を設立したのは使徒たちではなく、イエス・キリストその人自身によってであったと強く信じています。
イエス・キリストと彼の使徒たちは多くの時をガリラヤ湖で過ごされ、ユデアに数回やって来た時にはベサニーの村(オリーブ山の)に泊まりました。彼らはラザルスと彼の姉妹、マリアとマルタの家に滞在しました。彼らはエルサレムでは、マルコの家以外に泊まる場所はありませんでした。昇天時に、主が使徒たちにエルサレムに戻り、聖霊が彼らに降るまでそこを離れてはならないとおっしゃったのはその故であり、そうして彼らは世界中に向けてキリスト教を広めることになるのです。
使徒たちは彼らが良く知っているたった一つの場所に戻りました。そこはイエス・キリストと共に多くの楽しい時を過ごしたゆえに、そして主が磔にされるためにユダヤ人に自分を渡す前の最後の夜を共に過ごしたゆえに、彼らの心の貴重な場所でした。彼らはそれから過ぎ越し祭まで、10日間、そこに滞在しました。
■聖マルコシリア正教修道院
この修道院は2000年間一貫してアンティオキアのシリア正教会が所有しています。私たちはここで日々の典礼と礼拝を行います。この修道院はマルコと呼ばれるヨハネの母、マリアの家の上に建設されています。マルコは聖ペテロと使徒たちの弟子であり、聖パウロの旅のいくつかに同行しました。
修道院と教会は設立当時の簡素な様式を保っています。エルサレムを管轄した歴代の大主教たちは過度な装飾を施すことを望まず、世俗的な装飾や贅沢な建築デザインによってその様式を台無しにしようとはしませんでした。そうして、彼らは修道院を歴史ある簡素な様式のままに保つことによって、その真正さを維持し、敬虔さと霊性を加えてきたのです。
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聖マルコ修道院の入り口
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修道院はローマのティトゥス将軍がエルサレムを破壊した後、西暦73年に改修されました。その後、ジャスティニアンの統治下で6世紀にも改修されました。地下室は今でもローマ・ビザンティン様式を保っています。十字軍の時代にも改修され、二階(upper
room)には今でも当時の十字軍様式に似た柱とアーチが残されています。教会はエジプト人のカリフ、アルハッキム・アル・ファティーミの命令によって1009年に破壊されました。1728年以来、修道院の多くの主教たちが必要に応じてこの場所を修繕し、改修してきました。
教会内の聖壇、洗礼盤とその丸天井、大主教座、典礼書棚、聖人の聖遺物、そして多くのイコンは、1733年に遡ります。
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聖マルコ教会のドア
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聖マルコ修道院の蔵書にはシリア語による多くの古書籍や貴重な古写本が収められていることは特筆に価するでしょう。そのいくつかは1000年以上昔のものです。
■聖マルコの家で起きたとされる出来事
A. 主は使徒たちと過ぎ越しの食事を行った(マタイ26:17、マルコ14:14-15、ルカ22:1-18)。
B. 天使によって牢屋から助け出された聖ペテロは、その天使に、彼のために使徒たちが集まって祈っていた聖マルコの家に導かれた(使徒言行録12:7-11)。
C. 聖餐の制定(マタイ26:26-35、マルコ14:22、ルカ22:19-20)。
D. 足を洗う(ヨハネ13:4-11)。
E. イエスは復活し、使徒たちの前に現れた(マルコ16:14、ルカ24:33-49、ヨハネ20:19-29)。
F. 過ぎ越し祭の日、聖霊が使徒たちに降った(使徒言行録2:1-4)。
G. 聖マティアが使徒に昇格した(使徒言行録1:15-26)。
H. 7人の弟子の昇格とキリスト教会での初の司祭叙任(使徒言行録6:1-8)。
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典礼書棚
牢屋を抜け出しマルコの家に戻ってきたペテロと、ペテロのために集まって祈っていた聖母マリアと使徒たち
弟子の足を洗うイエス
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I. 主の昇天後、使徒と信者たちは集まり、心を一つにした(使徒言行録1:13-14)。
J. 主は使徒たちに彼の苦しみと死について語った(マタイ26:20-25、マルコ14:17、ルカ22:21-23)。
K. 主の昇天後、使徒たちは集まって教え、聖餐を分かち合った(使徒言行録2:42-47、4:23、12:11)。
L. シリア人の神学者でダラの大主教であった聖エヴァノス(860年死去)によると、使徒たちが教会の歴史上初めて聖油を祝福し、新たに洗礼を受けた全ての信者に堅信礼の秘蹟を与えた。
M. 同じく聖エヴァノスによると、聖母マリアは同じこの場所で使徒たちから洗礼と堅信礼の秘蹟を受けた。
N. 西暦51年にキリスト教会の初の使徒会議がこの場所で開かれた(使徒言行録15:6-29)。
■碑文
5世紀もしくは6世紀のものとされる、キリスト教会の歴史に関する最も重要な歴史文書は、聖マルコ教会で1940年9月に修繕工事中に発見されたシリア語(アラム語)の碑文です。この証拠によって、聖マルコ修道院はマルコと呼ばれるヨハネの母、マリアの家の上に建てられているという学説の真正さが証明されました。
これがその碑文。画像にマウスを合わせると翻訳版になります。
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