■序:学者の簡略伝記目録-3期に分類して-
第一期:紀元前より紀元後758年まで
この時期は二人の哲学者、キリスト教以前の時代のアラム人ワファと2世紀終わりから3世紀初頭に生きたバルダイサンに始まり、シンジャルの主教イリイヤ(756年没)に終わります。この時期の著作家はその独創性、流暢さ、様式で際立っています。彼らはまたその作品の質と量で知られています。実際、この時代はシリア語の黄金期とみなされています。これらの大家らはシリア語を文学の宝石で冠し、哲学、神学、聖書注釈、論証法、祈祷日課の頂点に達しつつ、法制、歴史、詩、説教、散文、伝記、物語における彼らの卓絶したすばらしさは、彼らの能力とすばらしい趣向を示しています。
この時期に偉大なエフライム、アスナ、キリロナ、アミドのイサク、マルサ、ラブラ、主教バライ、エデッサのイサク、陶器職人シモン、サルガのヤコブが栄えました。マブグのフィロクセノスはその雄弁さで彼の同時代人達を驚かせ、カリニクスのパウロは宗教書の正確な翻訳でよく知られました。そのほかこの時代で著名な著作家には、ラスアインのセルギウス、アンティオキアのセヴェルス、採光を放つ神学者ヨハネ・バル・タラ、ヨハネ・バル・アフトンヤ、聖書注解者サラのダニエル、そして二人の歴史家、ミティレネのザカリヤとエフェソのヨハネがいます。神学者カリニクスのペトロ、総主教タラのパウロ、エデッサのパウロ、聖書その他の翻訳者ヘルクレアのトーマスは全てこの時期にかかれました。セドラスのヨハネ三世、ブスラのヨハネそして哲学者達、セヴェルス・サブカーツ、アタナシウス二世、エデッサのヤコブ、アラブの主教ゲワルギウス、アサーブのヨハネ、フォカス・バル・セルギウス、シンジャルの主教イリイヤ、そのほかギリシャ著作を翻訳し、宗教儀式を整え、聖典を歌ったカルカフタ(頭蓋骨)修道院の修道士達のような多くの人たちがいました。
第二期:773-1286
この時期は773年の師ラザルス・バル・クァンダサに始まり1286年に終わります。この時期は神学書、とりわけ聖書の注釈、論証法、法学、教会法、年代記に富んでいます。この時期の知識人の中には語形論、シリア語文法と母音表記に加え哲学にかかわった人たちもいました。また彼らは教会礼拝を多くの賛美歌と嘆願祈祷を作り豊かにしました。加えて、この時期のこの言語の権威の多くは、彼らが十分練達したところの詩の多様な形式の専門技術で際立っています。彼らの流暢さと雄弁さゆえに、これらの著作家たちのうち最も優れた人たちの散文はしっかりしていて、良く形が整い、優雅で滑らかです。この時期の著作家達の中には月並みな人たちもいますが。
この時期の著作家では、特に散文の修道長ダビデ・バル・パウロ、福音注釈の総主教グレゴリウス一世、神学書、訓戒、教会法の総主教キリアコス、俊逸な詩のラザロス・バル・サブトについて述べます。また弁証法のニシビスのノンヌス、有名な歴史書のタル・マハレのディオニシウス、エデッサの主教テオドシウスとベンジャミン、神学と哲学著作のダラのヨハネとモーセ・バル・キファ、憲法(syntagma)と注釈の総主教テオドシウスには触れておく価値があるでしょう。規律と教会法の9世紀の総主教たち、詩のメリテネのエゼキエル、散文のクァリスラのアタナシウス、「全ての原因の原因」の無名の著者も思い出されます。ヤヒャ・イブン・アディ、アリ・イブン・ズラそしてアブ・アル-ハッサン・イブン・アル-カハマルは医学と哲学の書籍をアラビア語に翻訳しました。加えてマルンの弟子ヨハネ、著作家であり詩人であったヨハネ・バル・シュシャン、哲学者であり歴史家であったメリテネのイグナチウス三世、そしてバル・キキ、バル・サブニ、、カルカルのティモテ、バル・アンデレといった詩の大家らがあげられます。ヤコブ・バル・サリビは彼の詳しい聖書注解と同時に神学的・論証法的著作で有名です。同様にバル・ワハブンも良く知られています。偉大なミカエルはその誰にもまねできないほど詳細な年代記で有名です。エデッサの歴史家はその正確さで知られました。バルツーリのヤコブは文献学者であり神学者、バル・マダニは弁士であり詩人でした。
神学者であり詩人、修辞学の師であるタクリットのアントンについては、彼の表現力に並ぶものはいません。バル・ヘブライオスについては、、卓越したシリア人知識人であり、どう見ても彼こそ両時期の泰斗です。
第三期:1290-1931
この時期はバルツーリのアブ・ナスルから始まり現代で終わります。文学的な成果はほとんど無く、それもわずかな題材に限られています。その著作に質的に大きな差が見られるこの時期の著者達は、二つの部類に区分することが出来ます。
最初の部類は散文と詩に関しては第二期の著作家達と近いレベルの著作家達からなります。たとえばバルツーリのアブ・ナスル、バルツーリのガブリエル(ただし彼の散文のみ)、バルソウム・アル-サフィ、イエス・バル・キロ、ハーのキリル、アブ・アル-ワファ、ヨセフ・バル・ガリブ、マルディンのダニエル、バシブリーナのイザヤ、そしてバルソウム・アル-マダニ、ヒドのバーナム(散文と詩の質から)、ヒムスのダビデ(散文といくつかの詩から)、そしてレバノン人ヌー(彼の詩の大半から第二期の著作家の中におかれても良いかもしれない)、アブド・アル-ガニ・アル-マンスリ、そしてマフリアン・マニミムのシモン(彼の散文と詩が評判であった)、そしてヤコブ・サカ(彼の力強い詩から)。
第二の部類の著作家らは最初のグループに文学の質で劣ります。この部類の中にはイブン・ウハイブ、修道士イエス・バル・カイラム、彼の兄弟サリバ・バル・カイラム、総主教アジズ・バル・ソブト、マルケ・サコ、バシブリーナのイエスそしてバシブリーナのアダイ、ザズのマスド、ニマット・アラー・ヌル・アル-ディン、クツルブルのヤコブそしてヨハネ・アルーブスターニがいます。
このグループの著作家のほとんどは彼らの外国の用語を多用する好みで圧倒されてしまっています。彼らは混交様式を伝統的な格調高いものよりも好み言語の美しい使用から醜いものへと離れてしまいました。しかし彼らは民を武器と兵をもってあつかう不誠実な時代にあってシリア語の遺産を保全しました。
資料:THE HISTORY OF SYRIAC LITERATURE AND SCIENCES
p75-76
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