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■ ペルシャのアフラハト(Aphrahat the Persian)364年
ペルシャの賢人との別名を持つアフラハトは異教徒としてペルシャに生まれ、キリスト教に改宗し修道士となりました。著述家の中には、彼にヤコブの名を与え主教職にあったとするものたちもいます。彼はモル・マッタイ修道院の主教になったと考える著述家たちもいます。しかしながら、彼が主教であったとする決定的な証拠はありません。まして彼をモル・マッタイ修道院と関係づけるにいたっては疑いなく誤りです。なぜなら彼の時代に、当の修道院はまだ創設されていませんでした。アフラハトはその篤信で知られました。彼は聖書に精通し337年から340年の間に、訓戒と呼ばれる長大な本を執筆しました。この本は、信仰、愛、隣人、断食、祈り、戦い、修道士、頌徳、死者の復活などに関しての23の論文を収容しています。主題の間では、謙遜、司牧、割礼、過ぎ越し祭、安息日、主教と司祭と助祭たちへの普遍的書簡等、正しい行いと平和な生活について議論されています。これらの訓戒は、食事の区別、キリスト教への異邦の民の召命、キリストが神の子であること、処女性、ユダヤ人の離散、貧しいものへの施し、終末、葡萄の房に関しての論文も収容しています。
アフラハトの文体は明快で滑らかで気取りがなく、退屈させません。彼の教えは正統です。しかしながら彼はこの世の長さを6000年と定め、アラブの主教ゲワルゲウスに反駁されました。アフラハトの訓戒は、5世紀と6世紀に執筆された3つの写本で残されており、そのうちのひとつは512年と注釈されています。彼の作品はラテン語に翻訳され1907年パリソトから豪華版で出版されました。これはドイツ語にも訳されています。
資料:THE HISTORY OF SYRIAC LITERATURE AND SCIENCES
/ PATRIACH IGNATIUS APHRAM I BARSOUM,p77-78
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