聖エフライム
シリア人学者と著作家の伝記
   この章はTHE HISTORY OF SYRIAC LITERATURE AND SCIENCES からの抜粋訳です。

 

トップページへ

 

 

 


サルガの博士聖ヤコブ(The Doctor Mar Jacob of Sarug)521年没
 サルガのヤコブは、練達生来無比無類の超天才詩人です。拘束されない著述家、言語第一人者の一人、ヤコブの著作は雄弁で独創的です。彼は著述家である以上に詩人です。彼の詩は広範な人気を博しいたる所へ広がりました。彼の詩は心に直接到達する道を見出し聞く人を楽しませます。彼の詩を読む人は夢中にならずに居られません。ヤコブの詩には傑作・秀作が収められ、それらは精神を驚愕させ心を捕らえます。又純一な様式と明晰性、鋭い主題、巧妙な表現、安定した簡潔な文体に特徴があります。ヤコブは2千行、3千行、それ以上の詩を含む長文詩を作成した多作の詩人でした。導入節とすばらしい結びの構成に加え、彼は詩歌に精通していました。彼は彼の詩的主題を深めるほどに、ありありとした表現と美でそれを富ませ、またさらに新しい主題、繊細な表現、明晰な技術を創作しましたが、それは読者の倦怠を払い、その人が文学的真珠と非凡な事象に満たされた万能の海に相対していることを喚起します。
 あなたが訓戒、世の歓楽の拒絶、悔い改めに関する彼のミマルを読むなら、読み終えてしまう前に心が俗事を離れ篤信と献身的愛に満ちていることに気づくでしょう。あなたが義からどんなに遠ざかっていたとしても、彼のミマルは、神の扉をたたき神に従うようにとあなたの心を傾けるでしょう。魂の病とその適切な処置の推量に彼は如何に優れ、注意深い心とへりくだる魂にとって、彼の文体は如何に受け入れやすいことでしょう。このように、彼の言葉は知識の泉であり、彼自身は、神に選ばれた者の一人、彼の時代―信仰と勇気と正統信仰原理の時代―の最も有名な聖人でした。どうか神がマブグのフィロクセノス、カリニクスのパウロ、タラのヨハネ、ミティレネのザカライア、ヨハネ・バル・アフトニア、アンティオキアのセヴェルスのような秀でた人々を輩出した時代を、また他のどの時代にも比類を見ない彼らの権威を祝福してくださいますように。それゆえ、すばらしいことに教会は彼を最高の「博士」と呼びました。彼は「聖霊のチサラ」「正教会の竪琴」「博士たちの冠、装飾、そして誇り」とも呼ばれています。
 聖ヤコブはユーフラテスにある村カワルタムに生まれましたが、551年にサルガの町の地方であるハウラで生まれたともいわれています。エデッサの学校を卒業し、文献学、哲学、神学の知識を大いに取得しました。彼は修道士、苦行者になりました。二十歳のとき、彼はその有名な頌歌、エゼキエルのカリオットを、5人の主教に勧められバトナン・サルガ教会で即席に創作しました(他の根拠に乏しい典拠ではニシビスの教会であったとされています)。主教たちは彼の詩的才能を賞賛し、神がその恩寵により彼を選別したと信頼し承認を与えました。彼は長老に叙任され、それからハウラの町のペリオデウテスの地位を与えられ、その後彼はユーフラテスとシリア内陸部を旅行し彼の務めを適正に遂行しました。彼はその篤信と誠実さと知識から、何百、否、何千という修道士たちに愛され信頼されました。彼は519年バトナン・サルガの教区の主教となり、1年11ヶ月の間教区を最も的確に治め彼の生涯を終えました。彼は521年11月29日70歳で亡くなりました。彼は教会で記念されています。ずいぶん後になって彼の聖遺物はディヤルバクルの町の私有聖堂に移されました。
 博士ヤコブの下では幾人かが学び、彼から恩恵を受けました。中には彼の秘書エデッサのハビブやダニエルという苦行者がいます。バル・ヘブライオスによれば彼の詩を書き下ろすために70人の写字生が任命され、その詩を集めて合計すると770編になりました。その最初のものがエゼキエルのカリオットで最後のものが彼の死で未完に終わったゴルゴザです。これらの詩のすべては、彼が発明し彼の名をとってサルガの韻律として知られることとなった12音節韻律で作成されています。これらミマル(詩)は旧約・新約聖書の最も主要な主題に関する解釈を扱っていました。これらはまた信仰、道徳、贖罪、復活、食事の恩寵、死、聖処女の賛美、預言者、使徒と殉教者等の主題を扱っています。彼は聖ペトロ、パウロ、トーマス、タダイ、洗礼者ヨハネ、グリイヤ、シャムナとハビブ、セルギウスとバッカス、洞窟の人々、グレゴリウス、セバステの殉教者、エフライム、柱頭行者シモンについて詳細に記述しています。朝晩シリア教会は転地万物の主を賛美する際、彼のえり抜きのミマルを歌いその作者の思い出を不朽のものとしています。
 ザフラン、エルサレム(聖マルコ)、マルディンの私たちの図書館は、バチカンとロンドンの大英博物館と同様、400以上のこれらミマルを収容していますが、これらのほとんどは羊皮紙にかかれたものです。そして修道士パウロ・ベトジャンが200ミマルを厚みのある4巻の書物にして出版したことを考えれば、これらの数を合計したものは19巻にもなるだろうことが計算されます。[訳者注:現在べトジャンにより編纂されたものをベースに第6巻、索引を加えたより包括的な詩集がセバスチャン・ブロックによる編纂で出版されています。]私がバシブリナで見つけた、よく知られているコレクションと異なる写本の中では、これらミマルから77編が選び出され年間の説教集に加えられています。また、私達は彼の「シナイ山に登った神」の韻律によるマドラッシュ(その第一は聖人に関するものです)と悔い改めに関するスギテ2編を読んだことがあります。「主よ、あなたの泉から飲ませてください」のメロディーにあわせ、アルファベット順に配列された22行の哲学的なスギスは、ミンガナによればエデッサのヤコブに属するものですが、彼に帰される写しです。彼は500年の春に国を襲ったイナゴの害に関する歌も作成しました。
 彼の散文は、この上なく美しく格調高い書簡を収容しています。これらは洗練された見事な文体で執筆されています。316ページの中に43通の書簡を収容した精選集が残されています。1937年、3つの大英博物館MSS―その最も古く大きなものは603年に完成したものです―に習いこれらは出版されました。これらの書簡は、
1)(異端を採用する前の)異端者ステファン・バル・スダイリへ宛てた書簡で、彼の妄想を反駁し篤信に寄り頼むことで品行を改めるよう忠告しているもの。(この書簡は彼が彼を導き、正しい道へ呼び戻すように執筆された以前の書簡の続編です;後に主教たちからなる教会会議で彼は彼を追放しました。);2)信仰に関する書簡;3)司祭トーマスへ宛てた信仰に関する書簡;4)アレッポの主教アントニウスへ宛てた書簡;5) 司祭ヨハネへ宛てた書簡;6)ペルシャ人の要塞アルズンの修道士たちへ宛てた書簡;7)シナイ山の修道士たちへ宛てた書簡;8)聖ハビブへ宛てた復活に関する平和の書簡;9)助祭長ジュリアンへ宛てた書簡;10)公証人ステファンへ宛てたキリストの救罪の業に関する書簡;11)苦行者パウロへ宛てた書簡;12)(未完の)書簡;13)モル・バサス修道院の修道士たちへ宛てたキリストの業に関する書簡;14) モル・バサス修道院の修道士たちへ宛てた嘆願の書簡;15) モル・バサス修道院の修道士たちからの書簡;16)彼らへの返信;17)彼らへの3度目の書簡で、彼の正統信仰の堅固さの唯一決定的な証拠でもあるもの;18)ナジランの証聖者ヒムヤライテへ宛てた書簡;19)ガブラの聖イサク修道院僧院長サムエルへ宛てた信仰に関する書簡;20)エデッサ市民へ宛てた書簡で、キリストのアブガル王への約束を思い起こさせているもの;21)僧院長アンティオコス、サムエル、ヨハネ、セルギウス、イグナチウスへ宛てた主の御降誕に関する書簡;22)ナワウィスの修道院僧院長ヤコブへ宛てた書簡;23)マルンへ宛てた36ページの書簡で、シリア語以外の言葉で執筆されたマルンが提出した6つの聖書的問題への返信;24)主の格言「誰でも人の子に逆らう言葉を話すものは赦されるが、聖霊に逆らって話すものは赦されない」に関する書簡;25)彼の友人たちへ宛てた書簡;26)アミドの主教マラへ宛てた慰問の書簡;27)苦行者ダニエルへ宛てた書簡で、彼が司祭として従事したがらないことに関するもの;28)魂の悔恨に関する書簡;29−30)彼の友人たちへあてた書簡;31)友人へ宛てた偉大な土曜日に関する書簡;32)エデッサの主教パウロへ宛てた書簡で、「あなたの敵を愛せよ」の節に関するもの;33)ダラの主教ユティシャヌスへ宛てた信仰に関する書簡;34)シミへ宛てた書簡で彼の息子の死を慰問しているもの;35)エデッサのバサコンテ(王子)へ宛てた書簡;36)医師長コメス(伯爵)シラスへ宛てた書簡で、真の信仰の解釈に関するもの;37)改心して隠遁者となった二人の売春婦レオンティアとマリアへ宛てた書簡;38)かつて化け物と悪魔の幻視を公然と見た隠者へ宛てた書簡;39)隠者ダニエルへ宛てた書簡;40)苦行者たちへの書簡;41)友人シモンへ宛てた書簡;42)魂の救罪を求める貧しい人に宛てた高潔な生活に関する書簡;43)彼の友人たちの一人へ宛てた書簡。私達は彼の選集では言及されていない彼による書簡も読んだことがありますが、彼の友人たちへ宛てた「この罪深い世があなた方を煩わせませんように」で始まるものでした。彼による講話もいくつかあります。
 柱頭行者ヨシュアに帰される年代記の著述家は280ページに「503年のペルシャ-ビザンティン戦争の結果人々を襲ったパニックの間、ユーフラテスの東にある国々の住民たちは移民の塊となり始めた。」と記述しています。ヤコブは彼らに祖国に残るよう忠告し、彼らが神意により安全を見出す希望とともに彼らを励ます書簡を書きました。これらの書簡は彼がエデッサの人々へ届けた20通目の書簡を除きひとつも残っていません。
 彼による11の祝日訓戒も見いだされており、主の御降誕、御公現、主の奉献、レント、棕櫚の祝日に先立つ木曜日、棕櫚の祝日、聖金曜日、酵母を入れないパンの日曜日、復活祭、白衣の主日のための訓戒があります。この最後の始まりはこのようになっています:「理解力に満たされた熱烈な喜びが今日、私を駆り立てています。」別の悔い改めに関する講話の始まりは:「私たちの命の糸がその終わりに達し、日ごとに断ち切られようとしているからといって嘆くべきではありません。」また彼は慰問講話と典礼2編を著しています。一つ目は519年のもので24ページあり、「目に見える、また見えないすべてのものの創造者である神よ、」で始まります。二つ目は「神聖な哀れみ深い神よ、その御名は古より。」で始まります。私たちの図書館には21ページの写しがあり、「神なる父よ、あなたは限りない平和です。」で始まります。彼はまた、クリスマスの正餐式の間朗唱される平和の祈りと聖体拝受のための散文聖歌(シュバヘ)、洗礼制度、二人の苦行者ジャルシュのダニエルとハンニナの伝記も整えました。バル・ヘブライオスは「また彼は、注解書、書簡、マドラシュとスギテを有し、彼の弟子アラブの主教聖ゲワルギウスの要望に応えてエヴァグリオスの600の格言に関する注解書を執筆しました。」と言明しています。このゲワルギウスは725年に死去していますから、その注解書はエデッサのヤコブに属したか、バル・ヘブライオスのこの言明は筆記者により加えられたものでしょう。いずれにしろこの本は失われてしまいました。1095年、当時最高の知識人といわれたメリテネの首都大
主教バル・サブニはこの傑出した博士の著作と才能をたたえる珍しい頌歌を作成しています。


資料:THE HISTORY OF SYRIAC LITERATURE AND SCIENCES / PATRIACH IGNATIUS APHRAM I BARSOUM,p
86-88

   
トップページへ  Meriam & Joseph @2003. リンクは大歓迎、フリーです。転載の場合はご連絡下さい。